かわせみ音楽ダイアリー

ピアノ、ジャワガムラン、津軽三味線、その他もろもろ、音楽のことやそうでないこと色々。

表現力とは・音楽をすることとは何ぞや

この間、ピアノの先生に
「楽器を演奏する人の表現力って、どういうことなんでしょうね?」
という、いたって抽象的な疑問を投げかけてみたんです。

すると、
「その音楽の世界にどこまで入り込むかってことなんだと、私は思うよ」
と、これまた抽象的な答えが返ってきました。抽象的ではあるけど、でも「なるほど一理ある」と思いました。

 

ミュージカルを思い浮かべると分かりやすいですね。ストーリーがあって、悲しいことやら嬉しいことやらがあって、体いっぱい使って、その感情を爆発させる登場人物が、その手段として歌を歌うんですよ。

ミュージカルでなくとも、何かの音楽を奏でる…例えば、「枯葉」をピアノで弾くとして、自分の中で「この曲は一体どんな枯葉の情景を描いているんだろう?」「肌寒い秋の夕方の、公園かな」などとイメージを膨らませていって、その世界を展開するような演奏表現ができたらいいのかな…

などと、先生の言葉をきっかけに、考えるようになりました。

 

そんな折に、たまたま、知人が作っている曲を聴いたんですが、そこに「光」とか「思い出」とか、そういったタイトルが付けられていたんです。

そのときに、「ああ、この人の頭(心?)の中には、光や思い出はこの音楽のように映っているのかなぁ」なんて思って。

 

作曲までいかなくても、音楽を奏でること、音楽じゃなくても何か絵をかいたり、ダンスをしたりすることって、自分の中の心象風景を、音や絵や動きを用いて再構築していく作業なのか… と、これが最近の気づきと学びです。

 

昨年に津軽三味線を習い始めて以来、自分の中で「音楽ともう一度向き合う」という時期が訪れているようで、そんなことを考える時間が増えています♪♪

 

そしてもう一つ。そうやって「表現」をしていくために、まず土台として基礎的な動きがちゃんとできてないといけないんですよね。。。ミスタッチとかスカ撥(三味線の、慣らそうとした糸にバチが当たらないこと)とかに気をとられているうちは、表現とか言ってらんないよね、と。。

だから、三味線だけでなく、ピアノも基礎をもっと大事にしないとなーと思って、ハノンとツェルニーを再開した今日このごろ。そうそう基礎練、昔からきらいじゃなかったんだよな、と思い出しつつ地道にやってます。